#6 キューピーの媚態に象の足を乗せ 高田寄生木

今日の川柳
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川柳において「象」とは何の象徴なのだろう

現代川柳において「象」が登場してきたのはいつからだろうか。
不勉強のため『この句が象を書いた最初の川柳である』というのは見つけられないが
登場後、現在においても頻繁にかつ、飽きることなく書かれる「象」は何を象徴(という言葉にも象が入るが)しているのだろう。

この句はまず「媚態」に目が行く。しなをつくるの「媚態」は女性の動作を特定するものではないが「キューピーの」とあるので、女性、子供のしぐさ、句の前半はフェミニズムについて書いたのではないかと思われる。

とすると、ここでの「象の足」はフェミニズムに対する否定の象徴となる。
とはいえ「媚態」でかなり「キューピー」を貶めているわけだから、作者にとってフェミニズムは、さらに「象の足を乗せ」るほど忌みしなければならないものなのか、という思いも湧く。
また、読みが直線で薄い気もする。

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否定か?肯定か?

で、
この句が書かれたのは1980年前半らしい。
この時期のフェミニズム運動がどうであったかをGoogleる。
1980年代は1950年から始まる第二波フェミニズムと1990年からの第三波フェミニズムのはざまで、この時代のフェミニストたちの提唱するあたらしい女性像というのは「すべての女性は主婦にならずに働くべき」というように、それはそれで柔軟性に欠け、自由のないものだった。
これにより世の中にフェミニズムを嫌悪する空気(=バックラッシュ)が生まれ、1989年には「フェミニズムは死んだ」と言われる。(フェミニズムについて考えてみる~その歴史をわかりやすく紐解くと~)

また日本ではウーマンリブ運動が話題になった時期と重なる。
・女性とは、母として無償の愛を与える者
・女性とは、妻として夫のために尽くす者
・女性とは、家事や育児を当然のようにこなす者
・女性は女性らしくしなければならない
・女性とは、社会において限られた役割を果たしていればいい者
・女性とは、男性の補助的な役割のみ担当していればいい者
このような社会からの押し付けに対して、生きづらさや「何かが違う」という感覚を抱く女性たちは多かった。そして、この社会の風潮や男性からの解放を訴え、性の解放を主張したのが、ウーマンリブの特徴である。男性中心の価値観を「普通」とする社会に対して、女性たちが「NO」を突き付けた運動と言えるだろう。(「ウーマンリブ」が意味する女性の自由と権利の歴史とは)

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再び「象の足」に戻る

掲句に戻る。
「象の足」は反フェミニズム側からの圧力と読むのは解釈としてわかりやすい。
セクハラ、モラハラという言葉自体がなかった時代だ。
1980年代は自分も新入社員時代で、男性職員が女性職員の尻を(スカートの上からであるが)挨拶代わりに撫でているのを見てびっくりした記憶がある。作者は昭和8年生まれの人だからそれがおかしいことと思わなくても不思議ではない。当時の大半の男は自然に尻を撫ぜる派だったからだ。

だだそれだと読みが直線的で薄い。

で、しばらく考えて
「象の足」は女性の足、新しい女性の足の象徴ではないのかと思った。
これならば「キューピーの媚態」が旧態依然とした世間、あるいは政治という読み方ができる。
50年経った現在に読んでも古いと感じない奥行きも感じられる。

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「象」とは呪文の言葉であった

これはいったん最初の読み方で読んだ後、それを捨てないと辿り着けない読み方だ。
とするならば、宝の場所を記した呪文のようによくできている。
「象」という言葉にはそういう魔力が潜んでいる。

キューピーの媚態に象の足を乗せ 高田寄生木 

(高田寄生木川柳句集 「夜の駱駝」より 青森県文芸協会出版部 1990年6月発行)




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