基本データ
著者 望月弘
出版社 新葉館出版
発行日 2022年8月8日(価格1,200円+税)
はじめに
望月弘さんの第二句集。
たかねの風、いつか来た道、流転輪廻の3章で構成されている。
『平成十三年に前立腺癌が見つかり全摘手術を受けた。その後再発して放射線治療をしたが全治には至らず、ホルモン療法で今日まで生かされてきた。(中略)主治医からは、もう年齢的なこともあって手術も放射線治療も無理で、効力のありそうな治療は全て行ったので、あとは寿命との勝負だと宣言されてしまった。それでも何とか生きている。しかし確実に余命はなくなっている。いつか終わる日のくることも承知している。お陰で戦争による飢餓や貧乏も体験してきた。そして今の平和な世界に生かされている。幸せな人生だったと感謝している。』(あとがき)
各章の句と感想を記します。
第1章 たかねの風
アミダクジ抗がん剤へ突き刺さる
~病気の治療経過を川柳にするとき「深刻にならないように」という作者の配慮が伝わってくる。「効力のある治療を全て行う」を川柳として書けばこういうことなのだろう。
カルテにはしぶとい奴と書いてある
~〈院長があかんと言うてる独逸語で 須崎豆秋〉 に通じる句であるが、主治医との会話の中で感じたことを川柳にされたのだろう。この場合生きていることが「しぶとい奴」ち自虐になっているのが川柳的な哀しみがある。
眠くなる本を眠れず読んでいる
~入院中の消灯は早い。これからのことを考えると眠れない毎日が続いたことだろう。その事情をばっさり落としても川柳として良質な一句となっている。
ライバルのベンチにもいた千羽鶴
~人は一生で何羽の鶴を折るのであろうか。一羽も折れない人もいるだろうし、何億羽と折る人もいるだろう。そして望みは同じであろうか。多く折った人の望みが多く叶えばいいがそういうことはないだろう。それでも人は希望を持って鶴を折る。すべてをゴミにされようと。
ハチ公よもうその人は戻らない
~〈十八のぼくがハチ公前にいる 加藤鰹〉のオマージュかだろうか。その瞬間にたかねの風を感じた。
第2章 いつか来た道
一度だけ死んでみたいと少年期
~死んでみたいと思ったり死んだふりをしたりする少年期。大人になると生きていこうと大した理由もなく熱くなったり、生きているふりをしてダラダラ給料を貰って過ごしたりします。
長生きをしたくて川は蛇行する
~前句の続きのような句。人生=川は美空ひばりだが、「蛇行する」で句が大きくなりました。長生きすること自体に意味のある人生。
人間を終わってほっとする遺影
~そういえば遺影はどこかほっとしているような表情が多い気がする。遺影用の写真を残しておきたい気もするが、この先もっといい顔をする瞬間があるかもしれないので、まだ撮っていない。ほっとした表情もできないし。
第3章 流転輪廻
一度しか載せてもらえぬ訃報欄
~新聞の訃報欄は載せないこともできる。載りたくない人は家族に「載せないように」と言っておくのもいい。もちろん一度きりなので冥途の土産に載るのもいい。
この世へはもう戻らない茹で卵
~句集最後の句。著者自身「遺句集になるのは間違いない」と書いているので、「最後の句はこれ」と決意されているのかもしれない。茹で卵が孵化できる生卵に戻れないように、生まれ変わることは出来ないのだが、句には「戻らない」と書く。川柳人であり続けることの覚悟は大変なことなのだ。