川柳の話

今日の川柳

#2 ぼくら逃亡 海がなければ海創る  岩村憲治

川柳人としての起点をどこに持つか、を考えた時個人的にはこの句がそうなんじゃないかと考える。ぼく(ら)のらも甘いしうっとうしいし「海創る」なんては今は中学生すら言わないだろうとは思う。だがこの句の海は寺尾俊平の「川柳のユートピアの建設」に呼応しているように思えるし何よりわくわく感に溢れている。「逃亡」が効いているのだ。何からの逃亡だろう。ここはひとりひとりちがっていい、とにかく逃亡するのだ。で、うっとうしい(ら)が生きてくる。理由はそれぞれみな違うが、ぼく(ら)で逃亡するのである。海も創っちゃうのである。わくわくするじゃないか。ということで、川柳のことを考えるときぼくはこの句を起点としていきたいと考えている。
句集

#3 オンコリンカス 落合魯忠第一句集

秋サケの産卵の様子はテレビで目にした人も多いだろう。忌を嫌うテレビで見てもサケの産卵は感動的である。そしてその後の運命も。作者が目にしたものは演出されたテレビの世界ではなく、生々しい現実のオンコリンカスの生涯である。儚きものの生の憧れと死を恐れない畏怖がこの句集の太い動線となっている。
今日の川柳

#1 蜘蛛男が繋ぐ the end の余韻 月波与生

毎日川柳ということで、これから(ほぼ)毎日、川柳を一句選んで感想を書いていく。最初は自句を選んだ。今後自分の句を選ぶことはないだろうから。蜘蛛男は江戸川乱歩を思い出す人もいるだろうが、この蜘蛛男は仮面ライダーのほう。仮面ライダーの1回目の怪人が蜘蛛男。初回の仮面ライダーの映像は小学校低学年の自分には結構衝撃的であった。
句集

#2 借景 永末恵子第三句集

著者   末永恵子 発行所  航跡社発行日  1999年4月4日プロフィール(句集発行時点のもの)1954年  広島生まれ1989年7月  同人誌『白燕』入会1993年4月 『白燕』退会以降無所属著書  (句集発行時点のもの)1989年9月  歌集『くるる』1991年8月  第一句集『発色』1994年12月  第二句集『留守』1999年3月 第三句集『借景』
句集

5・7・5作品集「Picnic」6号発行

野間幸恵さんが発行する「Picnic」も6号になりました。今回は、あみこうへいさんが『5・7・5を企む「Picnic」』を書いています。「…今更だが、五七五形式は跋行的とも言える形をしている。リズム的にもその短さにおいても何かを喪失し続けているようにも思われる。ところが面白いことに、このことが逆に見えないもの、手から零れかねないものを絡め取るという作用を言葉にもたらしている。とにかくそれを思うところから始めよう。」 (5・7・5を企む「Picnic」 あみこうへい)
川柳のいま

#1 文学フリマ盛岡と日川協と公募川柳~川柳の話

これからほぼ毎週、川柳について1週間に起きたことの振り返りと、来週のイベントや予定などについて書いていきます。本来はYouTubeチャンネルのスクリプトなのですが、本ブログが軌道に乗るまで(収益化できるまで)YouTubeは始めずブログに専念していくつもりなので、スクリプトだけ毎週公開していきます。自分の身の回りの話題だけでなく、川柳を広く捉え偏りのないレポートにしていくつもりです。よろしくお願いいたします。
句会

川柳発祥の日(8月25日)を祝う会

今年(2022年)は慶紀逸没後260年。川柳が単なる万句合興行に留まらず他の雑俳から分かれて文芸になったのは、慶紀逸編の『誹諧武玉川』からといわれている。これを手本にしたのが『誹風柳多留』であり、これは句の見本としてその後の多くの川柳作者のテキストとなった。『誹諧武玉川』が世に出なければ『誹風柳多留』の誕生はなく、文芸としての川柳はなかったかもしれない。
句集

#1 西恵美子句集『分母は海』 ~ここまでの十年、ここからの十年

第十回東北川柳文学大賞を受賞された西恵美子さんが受賞記念句集『分母は海』を上梓された。東北川柳文学大賞は東日本大震災の翌年、川柳を発信することで震災から立ち上ることを目的として設けられた。恵美子さんは震災から間もなく、職場にて復旧活動中であった息子さんを亡くされてしまう。本句集にはそれからここまでの十年と、ここから先を生きていく想いが二九〇の川柳と共に収録されている。 
川柳のいま

#0 川柳の話 満天の星 Webサイトを開設しました

川柳人月波与生が様々なSNSに書いてきた記事をここに統合します。これからはここを起点にして各SNSへ川柳に関する様々な情報を発信していきます。よろしくお願いいたします。
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