Image by StockSnap from Pixabay
さみしい夜の句会報 第283号(2026.7.19-2026.7.26)
第283号の参加者は38名でした。ありがとうございました。参加された方の1作品以上を掲載しました。掲載のない方、誤字脱字等ありましたらDMにてご指摘下さい。投句はテキストにてお願いします。テキスト以外の投句は週報に反映しませんのでご注意願います。
今、ライフワークとして取り組んでいることは、日々の暮らしの中で小さな豊かさを集めることです。本を読んで得る「思索の収集」、クラシック・ジャズ・ロック・ポップスの名盤にひたる「響の収集」、映画に心を動かされる「感動の収集」、写真で光を捉える「光の収集」、散歩や旅で人や風景と出会う「出会いの収集」。そうして生まれる記録を積み重ねながら、急がず、競わず、人生に寄り添う時間を少しずつ紡いでいきたいと思っています。
◆ 参加者(38名)
クイスケ、七澤銀河、汐田大輝、山田真佐明、桑原 雑、佐井杜有、鈴木正巳、カオルル、しまねこくん、東こころ、なさわご、Nichtraucherchen、雨声、大山 晶子、墨染 雪、石川聡、しろとも、ひよどりよりこ、空野つみき、安藤 蜜豆、宮坂変哲、もふもふ、田面木 擬き、akao、季川詩音、まどけい、青海波、不思議な話のアイン、リコシェ、片羽 雲雀、三明十種、天然石アクセサリーkiki’s、ふくろうたかこ、INC(チャウ)、落とし子、やぶ、月波与生
◆ 川柳・俳句
てのひらの黒点に咲く火の芙蓉 七澤銀河
灯籠は川の向こうで素に戻る 七澤銀河
秋になる 役目を終えた素の二人 七澤銀河
痛覚を知らない君が盛るカレー 七澤銀河
寝不足の午後は惜しみなくピッコロ 汐田大輝
この麺は市民プールの味がする 汐田大輝
生首を抜いた野原に植える花 汐田大輝
金属の破片の中で貝集め クイスケ
サロメには報酬だけがママレモン クイスケ
烏龍茶飲まないような歌にする 山田真佐明
空蝉や数㍉歩く跡のあり 三明十種
水出しの罪悪感を切り刻む しろとも
蓋舐めてアイスを舐めて指舐める しまねこくん
中央線西瓜の皮に日比谷線 しまねこくん
海の日に風吹かぬのは海の自我 しまねこくん
守備位置の印に置いておく西瓜 しまねこくん
駄目出しを餌に蜥蜴の舌の割れ しまねこくん
マニキュアは真紅泉に波立てて カオルル
戦争の真只中の大暑かな カオルル
廃屋の保護者を名乗るサングラス 佐井杜有
借景に涼みまろびの大暑かな 桑原 雑
四肢もつれ花びらのごと咲きみだれ 桑原雑
*
恋人が出てきてあまい白昼夢 東こころ
薄まった我が存在にしたり顔 なさわご
新聞に載るほどの嘘 Nichtraucherchen
鱧となり噛みつきまくる文字の群れ 大山 晶子
水菓子とけてゼリーの金魚うらがえる 石川聡
泣きながら追う背中ある素足かな ひよどりよりこ
居待月あんなに愛し合ったのに 安藤 蜜豆
雨漏りのメロディー徐々に早くなり 宮坂変哲
渇水で 河童の皿も リサイクル もふもふ
髪洗う冷めた気持を隠しつつ akao
写真から少しはみ出た信州愛 季川詩音
青いコンフォートゾーンへ膝地獄 アイン
逆再生の闘病記 ふくろうたかこ
エヴァンスを聴いて眠るや熱帯夜 まどけい
熱帯夜地団駄踏んだグラン・ブルー 片羽雲雀
彗星よ 少し休憩して 私の上で瞬け 天然石アクセサリーkiki’
*
折り紙の舟が自立をはじめている 月波与生
◆ 短歌
交差点で穴に注意せよと天使がいうマップ見ながら駅まで歩く 雨声
誰もみな涙を測ったことがない 琥珀に残らない雨の音 戸倉田面木
涙から化けて出た妖怪の纏う領巾が藍/哀色で 青海波
追いかけてくる月の目をくぐりぬけコンビニに逃げこんだ真夜中 リコシェ
くるくるの交差点で抜け時を分からないまま何年経ったか 青海波
◆ 詩 ・ 短文
(ぱたぱたぱた)
知らない家の香り、おはよう
(ぱたぱたぱた)
知らない星の話をしたい
(雨を知らないぼくらの話)
ゆるせないことばっかりだ。
悴んでばかりの声を切り揃える。
きみのことを教えてほしいだけ。
(悲しくなってしまう?)
たぶん、そうなんだと思う。(空野つみき)
◆ 作品評から
借景に涼みまろびの大暑かな 桑原 雑
~イイですね。涼しげで理想的なシチュエーション!(INC(チャウ))
戦争の真只中の大暑かな カオルル
~戦時下の天候については私もよくテーマにします。戦時下って、暑さだとか、寒さだとかを一切気にしていられないのかなと思いました。それぐらい壮絶なのが戦争だと思います。(季川詩音)
素麺の次に流れる宇宙船 しまねこくん
~この句の要は「素麺の次に」という接続部分にある。もし「素麺のかわりに」「素麺と一緒に」であれば単なる置換や並列の面白さに留まるが、「次に」という時間的な連続性を示す語を使うことで、素麺を流す一連の動作・儀式が途切れずそのまま継続し、その延長線上に宇宙船が自然な顔をして流れてくる、という手続きの滑稽さが生まれる。日常の反復のなかに、スケールだけが狂ったものが紛れ込んでくる恐怖と笑いが同居している。 深読みしようとすればいくらでも読める句だが、この句の美点は寓意を強く主張せず、あくまで「流し素麺の次に宇宙船が来た」という報告に徹している点にある。説明を排し、映像の飛躍だけで押し切る胆力が、川柳としての軽やかさを保っている。(月波与生)
虹鱒になりたい欲が強い村 汐田大輝
~虹鱒という選択は、この魚がもはや「野生」の象徴ではなく、むしろ養殖・放流によって管理された自然の代表格だからだ。つまりこの村が焦がれているのは自由な生き物になることではなく、「誰かに管理され、見られ、時には釣り上げられる存在」への変身願望である。 個人の変身願望であれば、単なる幻想や現実逃避の句として読めるところを、村全体の性質として提示することで、読み手はこの欲望を「共有された気分・空気」として受け取ることになる。(月波与生)
マスキングしてよ心音を消してよ クイスケ
~「マスキングしてよ」「消してよ」と、同じ語尾を持つ命令形が二度畳みかけられる構造は、単なる反復ではなく明確な加速を生んでいる。この二段階の畳みかけによって、句全体が「隠したい」という感情の高まりそのもののリズムになっている。心音は、緊張や恋情といった当人が隠したいと思っている感情が漏れ出てしまう現象である。それを「消して」と誰かに頼る行為は感情が身体を通じて他者に読まれてしまうことへの拒絶に近い。また「してよ」は誰に向けた言葉なのか明示していない。この主語の空白があることで、句は単なる恋愛句の枠を超え、より普遍的な不安にまで射程を広げている。(月波与生)
句の中の「を」の字のなかの我である 雷
~「を」は目的語を示す助詞であり、日本語の中でもっとも意味的中身を持たない、純粋に機能的な文字である。名詞でも動詞でもなく、何かを「する対象」を指し示すためだけに存在する。読み手はこの字を意識すら せず読み飛ばす。作者はその、もっとも見過ごされる場所にあえて「我」を置いた。 これは単なる言葉遊びではなく、主体のありかについての問いである。「我」を名乗るなら本来、句の主語や動詞に自らを重ねるのが自然だろう。しかし作者は、自分を文法上「何かをされる対象」を成立させるための機構そのものに位置づける。自我を実体としてではなく、構文を成立させるための空洞・機能として提示している点に、この句の批評性がある。(月波与生)
裸体が疎ましい・パラソルのめまい 空野つみき
~中黒(・)は、通常の切れ字や助詞による接続を放棄し、二つのイメージのあいだに因果や説明を求めさせない強い切断効果を生む。「裸体が疎ましい」は、単に裸を恥じる、隠したいという羞恥の表現ではなく「疎ましい」はむしろ「近すぎるもの・逃れられないものへの倦み」に近い感情を示す。裸体を疎ましく思う〈私〉の眩暈が、パラソルという身体の外部にある「盾」に投影され、護られているはずの場所そのものが揺らいでいる。(月波与生)
サングラスかけて嬰児眠りたる カオルル
~サングラスは本来、光や視線から目を「護る」道具であると同時に、正体を「隠す」道具でもある。嬰児がこの二重の機能を無自覚に纏っている点が興味深い。まだ世界と自分を区別する自我すら持たない存在が、いちはやく「遮断」と「変装」の記号を身にまとっている。 また、眠っているのだから目はもともと閉じている。それでもなおサングラスをかける、というのは、二重に閉ざす行為であり、この過剰さが句のユーモアであると同時に、かすかな寓意性を帯びる部分でもある。(月波与生)
デメキンがカランコロンと陶器市 汐田大輝
~デメキンは金魚すくいの縁日を連想させるが、ここでは陶器市という別の場に置かれている。陶器市もまた縁日的な賑わいを持つ場だから、カランコロンという音は、本来は陶器同士がぶつかる音、あるいは市の下駄履きの客の足音として鳴っているはずなのに、句の構造上その音がデメキンの動きに直接結びついてしまう。この違和感が、単なる言葉遊びで終わらないのは、「デメキン」という言葉自体が持つ、どこか間の抜けた愛嬌のおかげだろう。聴覚と視覚がわずかに食い違ったまま接続される心地よい違和感を残す。(月波与生)
茄子故のヒヤリハットの事例集 しまねこくん
~「ヒヤリハット」は場や医療現場、建設現場などで使われる安全管理用語。重大事故には至らなかったが、ヒヤリとした・ハッとした事例を集めて再発防止に役立てる、あの無機質で真面目な業務文書。そこに「茄子故」、つまり「茄子のせいで」という、あまりにも些末な原因が接続される。普通、ヒヤリハット事例集に載るのは、機械の誤作動や不注意な作業手順といった、組織的・構造的な危険である。ところがこの句では、その全ての元凶が茄子だという。 さらに面白いのは、「事例集」という複数形が示唆する反復性。一度きりの事故ではなく、茄子由来のヒヤリハットが繰り返し記録され、蓄積されているという想定。大きな制度の言葉を借りて、家庭内の些細な失敗を格上げしてしまうという操作自体が、この句の面白さだ。(月波与生)
痒いへそペコちゃんの年齢も知らず クイスケ
~「痒いへそ」は、誰にとっても身に覚えのある、ごく卑近な身体感覚である。そこに突然「ペコちゃんの年齢も知らず」という、まったく異なる情報が接続される。面白いのは、この二つが「知らないまま放置されている」という一点でのみ繋がっていること。痒いへそという生理的な「なぜだかわからないもの」と、ペコちゃんの止まった時間という「なぜだか誰も気にしないもの」が、軽い口調の中で重なる。 「も」という助詞が効いていて、「〜も知らず」という並列が、まるで無数の「知らないこと」のリストの一部であるかのような気配を出している。世界には確かめれば済むはずのことが山ほどあるのに、人はその大半をそのままにして生きている。そんな脱力した諦観が、へその痒みという卑小な入口から立ち上がってくる。(月波与生)
Xが物干し竿と化す真昼 七澤銀河
~この句の面白さは、「X」が何であるかを最後まで明かさない点にある。数式の未知数か、バツ印か、伏字か、あるいはアルファベットのXそのものか。読み手は決めきれないまま宙づりにされる。そこに「物干し竿と化す」という、極めて具体的で生活臭の強い述語がぶつけられる。もう一つ気になるのは「化す」という言葉の据わりの悪さ。「なる」ではなく「化す」を選んだことで、本来あるべきでない変化という含みが出ている。未知数だったはずのものが、何の説明もなく即物的で退屈なもの(物干し竿)に落ちてしまう。「X」という記号を見て何か深遠な意味を読み取ろうとした瞬間、それは洗濯物を干すだけの棒だった、という肩透かし。(月波与生)
四肢もつれ花びらのごと咲きみだれ 桑原雑
~これは自覚のある憑依霊ですね?(落とし子)
海の日に風吹かぬのは海の自我 しまねこくん
~わだつみの聲は聴かねど海荒れて(やぶ)
新聞に載るほどの嘘 Nichtraucherchen
~本当に嘘も笑えなくなりましたね。逮捕の記事だったのだと私は思いました。軽い嘘のつもりが大きな事になってしまった。笑える嘘、たまには見てみたい。(季川詩音)


